みずほ銀行オンライン・システム障害について

公開: 2021年11月4日

更新: 2022年1月23日

あらまし

1980年代の日本経済の驚異的な発展を支えた要因の一つに、日本的経営の哲学と、それから導かれる日本の全社的品質管理がある。この日本的経営哲学の背景にあるのは、江戸時代からの勤労を重視する考え方である。その考え方は、江戸中期の社会で活躍した二宮尊徳らによって広められたものであった。江戸末期から明治期に活躍した渋沢栄一らも、同様の思想を持っていたとされている。

この「一生懸命に働く」ことを重視する考え方は、第2次世界大戦後の日本社会に、連合軍司令部(GHQ)によって紹介された「品質管理」の理論と結びつき、「良い製品を作る」ことが日本経済の発展につながるとする思想が形成された。これは、人件費が安く、安価な労働力が利用できる社会では、豊富な労働力を投入することで、「良い製品を安く」生産できることを意味する。

この考え方を、日本企業で実践するために理論化されたものが、「日本の全社的品質管理」であった。1980年代に日本の大躍進を可能にした、「全社的品質管理」は、日本社会に定着した。しかし、その後、クリントン政権の円高・ドル安政策の導入によって、日本社会の労働力は、世界的に見れば、決して低廉な労働力ではなくなった。それでも、日本企業の経営者は、その現実を認知できずに、世界経済の新しい発展から遅れをとったのである。

日本型経営からの脱却

1) 日本型経営の特徴

日本型経営とは、日本の前近代に当たる江戸時代から、近代に当たる明治・大正、そして現代である20世紀の昭和を通じて、日本社会に定着していた様々な社会慣習と、明治時代に江戸期からの慣習に基づいて成文化された法律や規則などを統合した、日本社会の通念を基礎に、日本企業が守るべき約束事や商習慣などを重視した、日本企業に共通する経営哲学に基づいた企業統治の考え方を言う。その重要な要素の一つに、江戸時代の二宮尊徳が教えた「勤労思想(報徳思想と呼ばれている)」がある。それは、「まじめに仕事に従事」し、常に与えられた「仕事に精進」する生き方が重要であるとする近代思想である。天災で危機に瀕した社会を立ち直らせるためには、生産力を増強し、コミュニティーに属する人々が全員で、社会の復興のために勤勉に働かなければならない。これは、上杉藩の再興に努力した上杉鷹山の考え方にも共通している。明治になり、日本の富国強兵を支えるための労働の重要性を唱えた、元幕臣の渋沢栄一の思想に影響を与えた考え方である。この思想は、第2次世界大戦後に制定された日本国憲法にも、国民の義務・権利として成文化されている。

この勤労思想は、第2次世界大戦前の昭和初期の日本社会では、圧倒的な生産能力をもった米国との戦争を不可避と考えた軍部や政治家によって、日本人に特有の道徳観であると宣伝された。小学校には、薪を背負って本を読みながら歩く「少年」の像が建てられ、日本人の全てがそれを模範とすべきとされた。この像の少年が、二宮金次郎である。金次郎は、豊かな農家の長男に生まれたが、台風によって氾濫した川の水で家の田畑が流され、財産を失った。その後、父親、母親が次々と過労で倒れ、亡くなったが、金次郎は自力で荒れた田畑を耕し続け、収穫後の田んぼに落ちていた稲穂から米の種を集め、それから苗を育てて、自分の田に植え、それを実らせた。このような努力を続けて、自分の農家を再興し、弟・妹を立派に育て上げた。後年、老中の水野忠邦に請われて、幕臣として印旛沼から江戸湾への治水工事を命じられたが、工期の長さや莫大な投入資金を理由に計画は中断された。しかし、金次郎の考え方は、弟子達に教えられ、日本各地の農村再興の模範とされた。

この二宮金次郎の生き方や考え方は、戦前の初等教育によって、日本の国民に徹底的に刷り込まれた。そのような教育環境で育った、戦後の大企業の経営者は多い。その代表例として、松下幸之助や本田宗一郎がいる。これらの人々に共通するのは、企業の成長が、企業に勤務する従業員の安定した生活を支えるだけではなく、日本社会全体の経済成長にも寄与し、結果として企業の収益を増やし、企業を成長させ、日本国民を幸福にするとする考え方である。これらの例で語られる人々は、「モノづくり」に関わった人々であるが、江戸の商家であった越後屋のように、新しい商売の方法を考え出した人々もいる。越後屋は、「定価販売」という人類にとって新しい方法を考え出し、その後の時代の商業の発展を生み出した。米国産業革命の中、シンガー社が機械式ミシンの通信販売のために、定価販売を考え出したのは、約100年後であった。越後屋が定価販売を始めるまで、売り買いされる「もの」の値段は、その時その時の取引で、変化することが当たり前であった。それを「定価販売」を採用することで、いつでも、どこでも、値段が変化しないようにしたのである。

これらの日本人のように、日本社会で育った人々は、子供の時から「勤勉に働き」「まじめに仕事に取り組み」「社会の経済を発展させ」「多くの人々を幸福にする」ことが、人間としての「生きる道である」と教えられてきた。男子は成長したら、「社会に出て働き、社会の発展に貢献すべきである」とされてきた。それを成し遂げる社会的な「からくり(仕掛け)」として、企業組織があり、そのような組織に属することが人間としてのあるべき姿だとされてきた。そのような組織に属して働く人々の上に立ち、組織を統括するのが日本企業の経営者である。そのような企業組織のリーダーは、組織運営に関する知識において秀でているだけでなく、人間としての人格の面でも秀でていなければならないとされる。企業組織のリーダーは、企業の利益を増大させることを考えるのは当然でも、自分の収入を増やし、豊かな生活の実現や維持のために、「私腹を肥やす」ようなことはしてはならないとされてきた。日本企業で、従来、企業経営の任にあっている人々の給与が、他の先進諸国の同じような役割の人々に比較して、低く押さえられてきたのには、このような背景があった。

1970年代に入るまでの、貧しかった日本社会では、このような日本的な考えが、日本企業を成長させ、日本経済を活性化させるために役立った。高度経済成長を成し遂げ、豊かになりつつあった1970年代の日本社会は、単に米国社会をモデルとして、それを真似れば成長できる段階は過ぎ去りつつあった。何か、日本社会に特有なもの、自社に特徴的なものに着眼して、それを磨き、米国市場で評価される「もの」やシステムを作り出さなければならなかった。その日本社会に特有なものとして、「品質」が注目され、日本企業の多くが、「品質向上」に取り組んだ。それを可能にしたのが、日本社会における初等・中等教育の水準の高さであった。全社員の教育水準が高かったため、全社員が「品質向上」に取り組み、「製品の何を変えればよいか」「製造工程でどの作業のやり方をどう変えれば良いか」を考え、提案した。「全社的品質管理」である。この日本的品質管理によって、日本企業は米国市場だけでなく、世界の市場で売れる製品を作り出し、日本経済は大きく発展した。その意味で、全社的品質管理は、日本的経営を実践し、世界市場で日本企業を成功させた例と言える。


2) 日本型経営が直面している問題

全社的品質管理の成功事例は、江戸時代からの日本に根付いていた日本型経営が、幅広い産業分野で効果を発揮した例である。その根底にあったのは、日本社会において義務教育の水準が高く、高度な人材が豊富に供給されていたからである。さらに、その人材の供給コストが世界水準と比較して、低くかったことが指摘できる。これは、第2次世界大戦終了から1980年代の末まで、日本の通貨である「円」の対ドル為替相場が低く抑えられ、ドル建てでの日本人の人件費が安く評価されていたことが、強く影響している。しかし、1980年代の終わりになり、日本社会は「バブル経済」の絶頂期に入り、特に土地価格が急激に上昇したため、日本人の労働コストは、米国国民を上回り始めていた。そのため、低い労働コストによってのみ可能であった労働集約型の全社的品質管理は、生産性の視点から正当化ができなくなりつつあった。それに拍車をかけたのが、1993年からクリントン政権によって実施された「円高ドル安」誘導政策であった。これによって、円の対ドル為替相場は、1ドル110円台から、70円台にまで、大きく上昇した。このことは、日本の製造業が、日本社会の中で生産を続け、全社的品質管理で質の高い製品を供給し続けることを難しくした。

江戸時代からの日本型経営の根底にあった仮定は、日本社会における労働力の質の高さと、労働コストの低さが両立していることであった。米国社会の経済は1990年頃を境として、急速に「知識集約化」を進め、高度な人材を必要とする社会になった。従来から、米国以外の社会で育成された人材を活用することが容易な米国社会では、数多くの移民や外国籍労働者を雇用して、新しい事業の発展に就かせることができる。また、政府調達や企業の調達でも、企業の規模による差別が少ないため、新しいベンチャー企業が大手の企業と対等に競争することもできる。特に、インターネットが普及して、米国社会における企業間の商取引は、広く自由化され、以前からの取引があった企業と、新規のベンチャーとが競合する事態が増え、コスト面で有利なベンチャー企業が、社会的な信用の高い大企業に勝って、案件を勝ち取る例も多くなっていた。これらは、米国連邦政府が進めた産業政策や、米国議会が積極的に進めた立法活動も大きく寄与している。

この急速に進展した経済の「知識集約化」に対して、日本社会は、米国社会のような柔軟性を持って対応することができなかった。日本企業の経営を担っている経営者には、経済の「知識集約化」をしっかりと理解し、適確な対応をとれる人材が少なかったことが、その原因の一つである。日本型経営は、江戸時代からの物理的な「もの」を対象とした取引には適合するが、近年の論理的な構造だけが主要なサービスやソフトウェアを対象とした取引には適合しない。日本社会が重視する「長期的な関係」は、「もの」の場合、取引が行われた時点での、「もの」の外見の評価が、長期間の利用によって、外見が変化する可能性がある場合にも、その質の劣化が少ない「もの」を提供できるかどうかを、長年の取引の中で信用として築き上げる手段であった。しかし、サービスやソフトウェアの場合、そのような時間経過による変化(劣化)よりも、特定の時間間隔内における機能の充足性が問題にされる。サービスやソフトウェアの場合、利用の瞬間瞬間で、利用者が目的を達成できるかどうかが問題なのである。そのような新しいサービスやソフトウェアを提供する取引において、日本型の経営は、何を重視すべきかを示せていない。金融サービスの一つである銀行業務も、一人一人の顧客が、瞬間瞬間の利用目的を短時間の内に、しっかりと達成できるかどうかが問題になる。

なぜ、日本社会と日本企業の経営者は、進展する経済の「知識集約化」に適応できないのであろうか。日本企業の経営者が模範としてきた江戸時代からの規範が時代に適合しないことが原因の一つであるが、日本人が「ソフト化」とも呼ぶ知識集約化に適合するために必要な新しい考え方を苦手にしているからでもある。つまり、論理的な構造が最も重要な要素になっているにもかかわらず、物理的な構築物の形式をもたない製品やサービスの質について、実感をもってそれを把握し、考えることを苦手としている。ソフトウェアでも、設計の段階では抽象的に議論することを苦手とし、具体的なプログラムコードになるまで、質の問題を議論しないのが日本人技術者の特徴である。その段階でも、何が「良いコード」であるかは議論せずに、「この部分は正しくない」「この部分は間違っている」を問題にする。この技術者の姿勢は、間違いは指摘できるが、将来、問題になるようなプログラムの書き方や、普通の技術者では「やらないような」書き方は、指摘しない。そのため、何か問題が発生したとき、そのプログラムを修正したとき、大きな問題を発生させたりする問題を、未然に防止することができない。そのような、複雑な問題を議論することを好まない国民性がある。

日本社会では、経営者でも技術者でも、複雑な問題を正面から議論することが苦手であり、問題を正面から議論することを嫌う傾向がある。それは、物理的な構造物である「もの」を作る場合、それほど重要なことではない。実際に議論するよりも、その構造物を物理的に実現すれば良いからである。しかし、論理的な構造しか持たない抽象的なサービスやソフトウェアの場合、それを実現できるかどうかすら、評価できない。つまり、論理的な議論を積み上げなければ、それが実現可能であるかどうかさえ分からないからである。そのための最も重要な方法が、「議論する」ことなのである。このことを避ければ、質の高いサービスやソフトウェアを作り出すことは不可能なのである。論理的な議論を、「屁理屈をこねる」と言う表現で卑下することは、根本的な問題であり、欠点となる。経営上の問題であれ、ソフトウェア開発の問題であれ、銀行業務に関連するサービスの実現に必要なソフトウェアであれ、論理的な議論を尽くさなければ、失敗のリスクを小さくし、排除することはできない。技術的な議論の内容を理解できない経営者が、仮にその人の人格が高貴で、尊敬すべき人であっても、論理的な議論に参加し、潜在している問題を理解し、その問題のリスクを正しく査定できなければ、「無能な」人間と変わらないのである。

もう一つ、日本社会において共通的に見出だせる傾向に、「長期的な取引関係」を重視する考え方がある。これは、長い期間に渡る継続的な取引を通して「信用」を醸成した取引相手との信頼関係を重視することを言う。これは、材料の質や加工工程の良さが、完成品の良さを左右する製品においては、合理的なやり方と言える。売買の時点では評価できなかった要素が、長期の使用による劣化や変化によって表面化するからである。最近の製品の場合、物理的な構造の構築物であっても、その作り方の面で、部品に組み込まれたソフトウェアによって細かな動きを制御している製品が多い。言い換えれば、システム型の製品である。自動車のように、かつては機械的な部品の集合体であった製品でも、最近では、個々の部品の中にコンピュータが組み込まれ、ソフトウェアで制御されている部品は多い。そのようなシステム製品では、製品がどのような部品をどのように組み上げているかが完成品の質を左右する。「どのような部品を使っている」か、それらを「適切に組合わせている」かを評価するためには、それらの部品に仕組まれているソフトウェアの動きを理解し、部品間の相互干渉や協調動作のやり方を、しっかりと検討しなければならない。そのためには、ソフトウェアについての深い理解を必要とする。現代では、調達側の企業と、提供側の企業の両者に、十分な専門技術を理解した人材がなければ、正しい調達はできない。これは、長期に渡る取引だけに依存することはできない問題である。


3) 日本型経営とみずほ銀行のシステム開発

みずほ銀行のオンラインシステムは、旧3行の統合前、旧第一勧業銀行の基幹システム開発と運用を担当していたベンダーの富士通が請け負っていたシステムを基盤とすることで合意されていた。しかし、1999年末になり、富士通による基盤システム構築を2002年3月末の期限までに完了することが困難であると判明し、その対応策が検討された。統合される3行の経営責任者達は、3行の統合が2002年4月に迫っていたため、それを遅らせる選択はせずに、新システムの統合方法を変更する選択をした。その新しい統合方法は、技術者が通常選択する方法ではなく、専門家から言えば、「悪手」としか言えない方法であった。旧3行で運用していた古いシステムを利用し、それらを「橋渡し」するリレーコンピュータを開発し、リレーコンピュータを介して3つのシステムを接続することで、外部から見れば、「単一のシステムに見える」ようにする方法であった。新経営陣は、急きょ、そのリレーコンピュータの開発をベンダー3社に依頼し、期限内に開発を完了するように依頼した。最初、リレーコンピュータの開発は、順調に進んでいたように見えたが、その最終局面になって、大きな問題が露呈し始めた。それでも、統合される旧3行の経営陣は、楽観的な見通しを捨てず、4月1日のシステム運用開始を変えなかった。運用開始予定の変更を公表することで、社会的な信用を失うことを怖れたのであろう。

これが、約20年に渡る「みずほ銀行のシステム障害」の始まりとなった、2002年4月のシステム障害の顛末である。その話の裏側には、日本社会に一般的な問題が隠れている。その問題は、一言で言えば、「日本型経営の弱点」である。そして、その弱点を生み出す要因の一つが、企業を統治しなければならない「経営陣の技術的な問題に対する理解の浅さ」であり、もう一つの要因が、「調達側の企業と受注側の企業との間の、あいまいな受発注関係」である。どちらの要因も、日本企業では、しばしば観察されるものである。前者は、日本企業での意思決定が、高度に専門的知識を必要とする問題の場合でも、第三者の専門家に相談することなく、担当部署の専門家の話を聴くだけで、自分達の考えと判断で決定を下す傾向が強いことである。知識が不足している社内専門家の能力だけでは、対応が難しい問題に対しても、このやり方を変えることができない日本の組織は、問題の解決を定められた期限までに行うことができない。みずほ銀行のシステム障害問題への対応においてもこのことが指摘できる。まず最初に問題になったのは、システム構築を期限までに終わらせることが難しいと分かった時、その対応策として、リレーコンピュータを介して従来のシステムを結合する案を採用したことであった。確かに、この方法は短期間での開発が可能であり、結果として低コストでの開発が可能である。しかし、すでに議論したように、このやり方には問題が多く、多くの専門家は選択しないやり方である。

この解決策の選択において、旧3行のシステム担当者・責任者と経営責任者の間でどのような議論があったのかについての公式の記録は公表されていない。想定されることは、システム担当部門の責任者も経営責任者も、情報システムの重要性とその複雑性に関する理解が不足していたため、問題を正確に把握できなかったのであろうとする点である。このことは、旧3行の担当者は、それらの主たるベンダーである富士通、IBM、日立の技術者の意見をしっかりと聴取し、それらの意見を正確に理解したうえで、意思決定の会議でしっかりと議論することができなかったのではないかと考えられる。その場合は、「電報ゲーム」の状況となり、しっかりとした意思決定のための議論ができたとは言い難い。つまり、技術的な議論ではなく、政治的な議論の結果で、意思決定が行われた可能性が高いのである。そのような正しいとは言えない意思決定に関する議論に基づく決定が、技術的に正しい決定になることはほとんどありえない。専門家を必要とする局面で、専門家を活用できない社会では、正しい意思決定を行える可能性は極めて小さい。さらに言えば、専門家が育っていない組織が、適確な専門家達を集め、その議論の過程を管理し、組織の意思決定を正しい方向に導くことができるとは、考えられない。みずほ銀行のシステム障害問題においては、このことが基礎的な問題として指摘できる。

一連の「みずほ銀行のシステム障害」問題では、2002年4月のシステム障害については、以上のような議論が成り立つが、その後の2011年と2019年に起こった問題については、別の面が指摘できる。それは、経営層が「システム統治責任を果たせていない」とする問題と、「調達が正しく行えていない」とする問題である。システム統治責任が果たされていない問題は、みずほ銀行の経営陣の人材に、情報システムに関する基礎知識を持つ人材が養成されていない問題である。みずほ銀行の調達が正しく実践されていない問題は、みずほ銀行内部に、情報システムに関する、必要な専門知識を持った人材が不足しているという問題である。ベンダー側の技術者の知識水準と、調達側のみずほ銀行側の専門知識の知識水準に著しい差があると、知識水準の差によって正しい調達関係を構築することができなくなるため、正しい調達を実践することが難しくなる。


4)情報システム調達と日本企業の組織

みずほ銀行としてメガ銀行建設の道を歩んだ旧3行とそのベンダー3社との関係は、日本企業としては一般的な例とは言えない。一般的には、1調達企業に対して、1ベンダーが対応する1対1関係が多かった。米国社会では、1調達企業に対して、複数のベンダー企業が対応している例は珍しい例ではないが、日本社会ではその様な例は少なかった。米国式の1調達企業対複数ベンダー対応のやり方は、「マルチベンダー」方式と呼ばれ、1980年代以降、インターネットの利用と共に普及し始めたやり方である。みずほ銀行の例は、このマルチベンダー方式に近いものであるが、調達側の組織が3つの部分組織に分割されているところが特徴的である。マルチベンダー方式の難しさは、関係する企業組織の数が増えることで、情報交換と管理が複雑になることである。その複雑性をしっかりと管理するためには、調達企業側の企業統治が確立されていなければならない。特に、必要な情報が、必要とする業者にしっかりと伝わらなければならず、それを必要としない(「それを知る必要」(need to know)のない」)企業には伝わらないように情報の伝達が管理されなければならない。これは、調達企業側の情報セキュリティ管理能力が低いと不可能なことである。

古くから日本社会では、「知っていること」が、特定のコミュニティーの一員であることの証であり、他のメンバーが知っている情報を知らないことは、「村八分」的な状況を暗示させるため、必ずしもその情報を必要としないコミュニティーのメンバーにも情報を部分的に伝えるなどの配慮をすることが重要である例が多く、情報の管理が極めて複雑になる傾向が強い。 それは、日本社会ではマルチベンダー方式を採用することが、一般的に情報漏えいの危険性(リスク)を高めることを意味する。みずほ銀行の例では、最初からその問題が潜在していた。ある情報が、一部のメンバーに伝わっているにも関わらず、他のメンバーに伝えられていないことが表面化すると、意図的に情報の伝達を制限したと解釈され、伝えられなかったメンバーを情報源のメンバーが、コミュニティーから排除しようとしていると邪推される可能性がある。これは、コミュニティー全体の統一性を破壊する方向に働くのである。そのため、日本社会では、必ずしもその情報を知っている必要がないメンバーに対しても、念のために同じ情報を伝達しておく慣習が残っている。電子メールで、CC(carbon copy)に並ぶ関係者の名前が多くなるのもこのためである。

日本企業では、担当者でも管理者でも、一般に情報の管理やコミュニケーションの管理をしっかりと学んでいる人材が少なく、同じコミュニティーに属する人々の間では、昔から情報の管理をする習慣がなく、全員が同じ情報を共有する例が多い。これは、同一企業内の異なる組織に属する人々の間になると、難しい問題を引き起こす。コミュニティーの線引きが、個人個人の判断によって違ってくる可能性があるからである。さらに、所属している企業組織は異なるものの、同じプロジェクトで共同作業を行なっている人々の間では、その情報開示が許されるコミュニティーに属しているかどうかの判定は、もっと難しくなる。米国社会では、一般的に「職務上、知らせる必要があるかどうか」で情報伝達の線引きを行う。つまり、人々がどの組織に属しているかではなく、「何を職務として担当している」かによって、特定の情報を提供すべきかどうかが判定される。例え、上司だとしても、情報を職務上知る必要のない人には、その情報を伝えてはならない。情報を知らなければ、漏えいする危険性がなくなるからである。内部組織が旧3行に分かれていて、主要な受注企業が3社または4社に分かれている場合、米国社会のような「知る必要があるか(need-to-know)」のような一般性のある原則がなければ、情報伝達の管理はできない。現在の日本企業の体質と日本社会の慣習は、明確な目的があり、一過性が高い、大規模なプロジェクトの実施には向いていない。

情報システムの調達においては、発注側の企業が、発注時に「どれくらい明確なシステム像を持っているか」が極めて重要である。この「明確なシステム像」を発注側が描けていない場合、具体的なシステムの実現に責任を持つ受注側のベンダー企業は、有利な立場に立ち、システムの構成や具体的な機能を自由に提案できる。そのような明確なシステム像を描くためには、発注側の企業に情報システムの専門家人材が必要となる。仮に、それをどのようにすれば「実現できるか」の具体策は分からなくても、「何を作るべきか」が明確になっていなければ、ベンダーの提案を客観的に評価することができる。これまでの日本社会の調達では、予めベンダーが決まっている例が少なくない。その場合、当該ベンダーは、発注側の問題意識を理解してさえいれば、発注側の意向を勘案したシステムの提案を提示することができる。つまり、発注側の専門家人材が十分でなければ、結果的に受注側の提案に基づいたシステム像を描かざるを得なくなるのである。しかし、逆に発注側に明確なシステム像があれば、受注側のベンダーは、それに合わせてシステムの提案を作ることになる。さらに言えば、調達側はそのシステム像に合わせた様々なシステムの提案を、様々なベンダーに提出させて、その中で最も自分達のシステム像を具体化する案として適切なものを選択することができる。これが、米国社会で1980年代から実施されている、「提案依頼書」を公開して、広く「提案書」を募集する調達の方法である。米国政府の場合、この方法は、特段の理由がないかぎり、従わなければならないことが法律で定められている。日本社会では、発注側企業に情報システムの専門家人材がほとんどいないため、それを実践することが難しいと言われている。

この提案依頼書を公開して提案書を募集するやり方は、日本社会では、馴染みが薄いこともあり、受注側にも大きな負担がかかると言われている。提案依頼書に対して、受注希望者(ベンダー)側は、どのように提案書を書けば良いかが分かっていないからである。米国社会では、提案依頼書を骨子として、その具体的な詳細を追加する形式で提案書を記述することが求められている。しかし、日本社会では、従来、そのような提案書の書き方をしてこなかった。日本社会では、受注希望者は、自分達の有利性を効果的に示すように、それぞれの受注者が、それぞれのスタイルで提案書を作成する。それでは、提案書を依頼している発注者の意向がどのように反映されるかが分からないため、評価がし難くなる。提案依頼書に記述された各項目が、提案書のどの部分に記述されているのかを見つけ出すだけで、大変な労力が必要となるからである。そして、どの受注希望者の案がどれだけ発注者の意向に合っているかを、受注希望者を横並びにして比較することができない。これでは、正しい調達は不可能である。受注側のベンダー企業も、専門知識をしっかりと学んだ専門家人材を獲得し、発注側の意図に沿う提案書を作成できるような体制づくりをしなければならない。ただ、現在の日本の大学教育では、そのような実務的な知識を教える努力はされていない。つまり、日本社会では、提案依頼書の書き方も、提案書の書き方も、現在、専門家と呼ばれている人々が、自分で学び、実践を通した試行錯誤によって身につけなければならない状況なのである。


5) なぜ、みずほ銀行は必要なシステムを調達できないのか

みずほ銀行で次々と発生したオンラインシステム障害を20年間に渡って調査すると、2つの大きな問題が未解決のままに残されていることが分かる。この2つの問題は、両者ともみずほ銀行に特有な問題とは言えない。その意味では、みずほ銀行が、自力でこれらの問題を解決することは容易ではないと言える。その大きな問題の一つは、これまでの議論で述べてきた「みずほ銀行の情報システム開発・運用統治」の問題である。この問題は、もう少し広い視点で考えれば、「日本企業における企業統治の問題」が、情報システムの開発や運用局面で表面化したもので、企業統治問題の一つの例と言える。もう一つの大きな問題は、「みずほ銀行における情報システム調達のあり方の問題」である。この問題も、もう少し広い視野で考えれば、「日本企業における情報システムなどのサービス調達のやり方の問題」で、調達のやり方が時代遅れで、調達対象が高度に複雑化し、さらに「目に見えない」論理的な構造になっているにもかかわらず、江戸時代からの延長線上で、長期にわたる取引に基づいた「信用」に強く依存した、「もの」の調達を想定したやり方に固執している問題である。前者も後者も、日本社会の組織に特徴的な問題ではあるが、問題を理解しながらも、それを解決しようと考えない、現代日本人の弱点が表面化した問題の例と言える。

企業統治の問題では、日本社会は20世紀の前半まで、「米作」を中心とした農耕社会で、村単位での米の生産をどうするかが中心的な課題であったことが、日本社会の様々な慣習を作り上げてきていて、それらの慣習が、現代のビジネスを実施するための巨大な組織を統括し、世界の変化に俊敏に対応する意思決定を行い、その意思決定の結果で組織全体を動かすことを難しくしている。もちろん、組織に属している人々が、そのことを強く認識し、個人の行動パターンを変えるように意識すれば、社会全体も変わるであろう。しかし、千年を超える歴史を通して、日本人がこれまで学んできたことを、数十年間の時間の中で変えることは容易ではない。変化の必要性を認識しても、変化によって自分に降りかかる新しい問題の影響を嫌う日本人は多く、社会が変化することに抵抗しようとする行動パターンが身についているからであろう。現代の世界でビジネスを成功させるためには、人材を世界の労働市場に求めて、優秀な人材を集め、自分たちの企業のビジネスをどのようなものにするかの将来像を明確化し、そのために何が必要であるのかを考え、それを準備してゆかなければならない。そして、その準備のために必要な仕事の遂行には、時間の制約を考慮すると、トップダウン的傾向の強い、組織とトップマネジメントの企業統治能力が重要になる。

そのような将来像の実現に欠かせないものが、金融業界では高度な情報システムの活用である。しかし、それは明確な将来像が描けていなければ、どのような情報システムが必要になるのかも決まらない。つまり、みずほ銀行のビジネスの明確な将来像を経営層が示せなければ、情報システムの開発は右往左往するだけである。金融機関の情報システムは、かつての銀行で言えば、行員と同じような資源である。どのような人材を採用すべきかが決まっていなければ、人事の採用業務は支離滅裂になる。これまでのみずほ銀行において最大の問題は、そのような「みずほ銀行の将来の姿」を、これまでの同行の経営層は示すこができていないことである。それは、単に経営層が無能だという理由からだけではなく、彼らが育てられてきた金融業界は、これまで経営者層にそのような役割を期待していなかったことも影響している。銀行の経営層は、20世紀の終わりまで、政府や行政の意向を理解し、その方針に従って、自行の業務をどう組み立てるかを考えることが仕事とされてきたのである。21世紀に入って、急に業務の内容が変わったのである。銀行の経営者層は、その世界の変化に対応できていない。

システム調達問題で最も重要な原因は、みずほ銀行の統治責任を担っている経営陣の人々が、明確な銀行の将来像を描けていないことであろう。21世紀の日本社会におけるメガバンクの役割について、経営陣が明確な認識を現段階の時点で持ち得ておらず、3万人以上の行員に対して、自行がこれから日本社会においてどのような役割を担えるように、変わって行くべきかを説明できていなかったのであろう。そのために、情報システムの開発と運用に責任を持つ取締役や、CIOに就任している責任者に対しても、将来のどのような銀行業務のために、どのような情報システムの機能が必要になるのかの、ヒントとなる情報を提供することができていなかったのであろう。この仕事が、「明確な情報システム像」をまとめるために必要不可欠な基本的な「要件」である。基本的な要件を示すことと、想定する情報システムを利用する時間的範囲(期間)と、利用する人々(ユーザ)の特性を明確に説明できなければ、ベンダーの代表者に対して、基本的な情報システムが持つべき全体像を描いて見せることはできない。その全体像を描くことは、システム開発と運用の実務に責任を持つ管理者が、勝手に想像し、描くことは許されない、職務権限外の問題だからである。これは、家の建築で言えば、大黒柱に相当する。大黒柱なしに、家は建てられないのである。

みずほ銀行が本当に必要としているシステムを調達できない理由の第2の要因は、調達側のみずほ銀行に、システムの開発と運用を統括すべき責任者が、存在しなかったことであろう。みずほ銀行では、その発足以前から、旧3行のシステム開発・運用責任者が存在し、それぞれの銀行組織の歴史、それぞれの組織における運用上の慣習、それぞれのベンダーとの関係を理解している責任者としての役割を全うしていた。それを、旧3行を統合することが決まり、最も規模の大きかった旧第一勧業銀行を中心として組織を統一する方針を採用した。情報システムも、その方針に従って、旧第一勧業銀行のシステムを基本に統合することとした。しかし、時間的な制約から、この案は一時的に保留とされ、旧3行のシステムを暫定的に接続して利用するためのリレーコンピュータ方式に変更となった。このシステム統合案における「選択の誤り」が、20年間に及ぶ間欠的な障害発生の原因となった。これは、経営陣の銀行業に関する深い認識が不足していたことが、システムの実装を最優先し、とりあえず「やり易いやり方を選択する」組織風土を形成し、本質的な問題の解決を後回しにするような、現場の行員やベンダー技術者を「安易な生き方」に流れるように導いたのである。

これまでにも述べて来たように、日本社会では、情報技術の専門技術者をしっかりと育成する高等教育の制度が完備しておらず、実務に従事するようになっても、しっかりとした専門家人材として養成し、その技能や知識を認定する社会的制度は確立していない。銀行に限らず、情報システムは、技術の進歩に伴って高度に複雑化を続けており、他の専門分野を学んだ人材が、その技術や複雑さをしっかりと理解することが困難になっている。場合によっては、大手ITベンダーと呼ばれている大企業の技術者でも、理解が難しいほど複雑化したシステムも存在する。飛行機や自動車に組込まれているソフトウェア、銀行業務や郵便貯金業務を支援するオンラインシステムを動かしているソフトウェア、東京証券取引所の株売買を成立されるために利用されているシステムのソフトウェア、電話やインターネットの通信を制御し、成り立たせているソフトウェアなどなど、社会の様々な局面で複雑なソフトウェアが稼働している。それらのソフトウェアは、システムの規模も1つのシステムが数百万行から数千万行のプログラム記述から成り立っている。その記述をしっかりと理解し、不具合があれば、それを正しく修正し、不完全な部分があれば、全体に悪影響を与えないように、不足分を追加しなければならない。それを問題なしに行うこと自体、大変難しい問題である。誰にもできる仕事ではない。そのような仕事を、ほとんど普通の人と違わない人々にやらせているのである。しっかりとした人材育成と、能力の認定方法を確立しなければならない。

かつて、通商産業省は、情報技術の専門家人材を認定する方法として、情報処理技術者試験制度を導入し、今日までそれを維持してきている。この制度は、大学などでの専門家養成教育プログラムが確立されていなかった1960年代には、現実的な知識認定の方法であった。しかし、それから半世紀以上が過ぎた現在、技術的な知識や、必要とされる技能(例えばプログラミングの技能)も、大きく変わっている。規模の問題を別とすれば、情報科学や情報工学などの専門を教育するための大学の学部学科も設立され、似たような専門技術を教える専門学校も増えている。にも変わらず、それらの教育機関を卒業した人材の「質」を認定するための社会的な制度は、存在しない。銀行の情報システム部門や、その部門からの仕事を専門的に受注する関連子会社へ入社する人材や、情報系のベンダー企業へ入社する人材の中には、そのような専門的な教育機関の卒業生は多い。とは言え、全ての人材がそのような教育機関の卒業生と言うわけでもない。このことは、専門的な職務に従事しているとは言え、専門的な教育を受けていない人々もいることを意味する。このことが、システム障害を発生させる原因となる例もあると言える。


(つづく)