人工知能 〜 機械学習は、どこまで信用できるか


提供: 有限会社 工房 知の匠

文責: 技術顧問 大場 充

更新: 2026年3月18日

あらまし

ソクラテスが提起した命題(めいだい)、すなわち「善(よ)く生きる」に対して、「その意味するところが何か」、を突き詰めて考えたのが、アテネの哲学者であり、ソクラテスの弟子であったプラトンでした。プラトンは、若い頃、ピタゴラス学派で数学などを学んだ経験を活かし、数学と同じような方法で、物事を考えれば誤りなく、「真実にせまれる」と考えました。その方法が、イデア論でした。

プラトンのイデア論

ソクラテスの弟子であったプラトンは、ソクラテスが問題にした、「善(よ)く生きる」とはどういう意味であるのかと言う問(と)いに、答える方法を考えました。


図3. {倫理的に生きる」とは

若いとき、ピタゴラス学派に学んだ経験があったプラトンは、数学的な方法を応用することで、この問題を解こうと考えました。それは、一つ一つの個別の「もの」や「こと」をとして、それらを「まとめて」総合的に考え、抽象化し、一般化した「もの」としてとらえ、その対象説明をしっかりと行います。そして、その説明の内容と、一般化された対象の性質を、よく吟味して、最低限の事実に関することば(名詞)と、その意味を説明します。数学の例で言えば、「点」や「直線」などがあります。

さらに、それらの最低限の名詞を使って、それらの言葉の関係を明確に示す説明を行います。数学の例では、「点と点を最短の距離で結ぶ『もの』が直線である」などです。これらは、数学の公理定理に似たものです。例えば、「3つの点を、3本の直線で結んだ図形を三角形と呼ぶ」などが定義の例であり、「2つの点を最も短い距離で結ぶのが直線である」は、直線の定義であり、2点間の距離の公理です。プラトンは、それらの言葉を使って、何を議論の対象とすべきかを考えることが重要であると、説きました。この「議論すべき対象」を述べる抽象化された問題に、プラトンは、「イデア」と言う名前を付けました。

数学では、一つ一つの直線の例を考えるのではなく、それらを一般化した「直線」を定義して、その「直線」の特徴や性質を議論します。その「直線」が、プラトンの言う「(直線の)イデア」なのです。この「イデア」こそが、哲学者が考え、議論すべき問題であると、プラトンは、考えました。このような、一般化した対象を、議論の対象にすると言う考え方は、古代ギリシャ人に特徴的な考え方です。彼らは、個々の対象(の例)を個別に議論することには、あまり意味がないと考えていたようです。数学者のピタゴラスも、哲学者のプラトンも、そのように考えていました。後のアリストテレスも、この点では同じでした。「一般化」は、古代ギリシャ人だけでなく、現代の多くの人々の思考にも見られる、普遍的な方法です。

ソクラテスが言った「善(よ)く生きる」とは、市民が「質の高い生き方をする」ことです。プラトンにとっては、従って、「質の高い生き方」がどのようなものであるかを、その性質を明らかにすることで、説明しなければなりませんでした。ところで、その「」と言う言葉も、プラトンが考え出した新しいギリシャ語だったと、考えられています。「」を意味するギリシャ語は、普通に使われていましたが、プラトンは、「どのようにある」を意味するギリシャ語の形容詞から、「」を意味する名詞を創り出したと言われています。この「」を意味する言葉は、それまでの人間の言葉にはなかったため、哲学者には重要な言葉の一つになりました。「」についての議論は、後に、アリストテレスも、「形而上学」の中で説明しています。このブラトンの言葉は、その後ラテン語に訳され、現代の英語でも使われています。日本語では、明治時代に、外来語の哲学用語として、持ち込まれました。

プラトンは、「質の高い生き方をする」ことを説明するため、「善をなす」という表現を考え、「」とは、何を言うのかを考えました。つまり、「善」のイデアを説明すべきであると、考えました。「善」を説明するため、プラトンは、ソクラテスに倣(なら)って、様々な人々が行った善行(ぜんこう)を並べ、それらに共通する性質を分析しました。その結果、どんな状況においても「変わらない考え方」に基づいた行動で、人間の行為として、どのような場合でも、「いつの時代ても、誰にでも称賛される行いである」と考えました。

プラトンは、「普遍的な真実」は、数学の定理と同じように、「時と場所」に関係なく、いつも同じことが成り立つと考えていました。それは、「質の高い生き方」は、いつの時代、どこの場所でも、同じ生き方が、「正しい生き方」であると、考え、認識されるはずであるとする、考え方です。この考え方は、「人間はをついてはならない」と言う説が、いつの時代、どんな世の中でも変わらないとする思想と同じです。それは、プラトンでも、後のドイツの哲学者である、カントでも同じでした。