提供: 有限会社 工房 知の匠
文責: 技術顧問 大場 充
更新: 2026年3月18日
13世紀のパリ大学では、神学を教えていたイタリア生まれのトマス・アキュナスが「神学大全」を著し、神の存在を証明する「実在論」を唱えました。このアキュナスの実在論は、当時のヨーロッパ中の大学で教えられました。その大学の一つで、イギリスに設立されていたオクスフォード大学の教員であった、オッカムは、言語の視点からイデア論を批判する唯名論の立場に立ち、アリストテレスと同じようにアキュナスの実在論が正しいとは言えないことを主張しました。
パリ大学で神学を教えていたアキュナスの実在論に対して、それに真っ向から対立する考えを主張し、実在論は誤りであると、主張したのが、イギリスに設立されたオクスフォード大学で、哲学・倫理学を講義していた、デ−ビッド・オッカムでした。当時、ヨーロッパで主流であったアキュナスの実在論は、オクスフォード大学でも主流でっあったため、オッカムの新説は、オクスフォード大学の学長からも反対され、オッカムは、教員として、不遇な扱いを受けたとされています。
オッカム唱えた新説は、今日、「唯名論(ゆいめいろん)」と呼ばれている、代表的な主張の一つで、その後、近代になり、イギリスで主流となった経験主義の基本に進化した考え方です。
オッカムは、人間が言葉で物事(ものごと)を説明するときに使う、「名詞」は、その名詞によって意味される概念を「指し示す」ための「記号(きごう)」にすぎず、実体そのものではないと、主張しました。ですから、その記号は、便宜的に使われている[しるし」と言う意味で使われており、その「概念が指し示す」対象が、本当に存在(実在)するかどうかとは、「別の問題」であると、説きました。つまり、問題の対象が実在するかどうかを考える時、それは、単に「しるし」としての名詞があるかないかではなく、別に、その対象が本当に存在することを説明する『意味』が、説明されなければならないとしたのです。
ですから、「神」と言う言葉を、多くの人々が理解できていたとしても、『本当に「神」が実在するかどうかは、わからない』と主張したのです。数学的な言葉を使うと、「名詞」が人々に共有されていることは、名詞によって指示されている対象が存在することを、人々が認識していることだけを示す、「必要条件」が満たされていることを示していますが、「その対象が、客観的に存在している」ことを示す、「十分条件」を満たしていることにはなりません。オッカムは、「神」の問題は、そのような客観的な議論の問題ではなく、個人の主観だけが関係した問題であると主張したそうです。
このオッカムの主張は、論理的な整合性を保っており、アキュナスの実在論だけでは論破することが難しい議論でした。この後、イギリスの社会では、経験主義が台頭し、近代のドイツでカントの先験的な知識を土台とした観念論を生み出されるまで、「神の存在証明」が正面から議論することはなくなりました。
この唯名論の議論を展開するにあたり、オッカムは、概念を指し示す「名詞」の存在と、その対象の実在を客観的に示す「現実」の証拠の存在が重要であることを主張しました。この「対象の実在を客観的に示す証拠」として、近代以降の科学では、仮説、観測、そして検証が重視されるようになりました。