狩猟採集から農耕社会へ


提供: 有限会社 工房 知の匠

文責: 技術顧問 大場 充

更新: 2025年8月17日

あらまし

狩猟採集から農耕社会へ

ネアンデルタール人が約3万年前に絶滅したのに対して、同時代にヨーロッパ大陸に進出していて、人口を増やしていたホモ・サピエンスは、その後も人口を増やし続け、地球上の様々な地域に進出してゆきました。それは、人口の増加に従って、食料となる動物の狩猟数の増加が必要だったからです。そのために、ホモ・サピエンスは、狩猟のための槍や弓などの道具を改良し、矢の先端に取り付ける「矢じり」も、精巧に加工するようになりました。さらに、集団で狩りをする方法も改善を続け、獲物の獲得に成功する確率も向上させました。


図4. ホモ・サピエンスとネアンデルタール人

これらの技術的な進歩は、ホモ・サピエンスの集団の規模が、ネアンデルタール人の集団と比較すると大きく、個々の集団の中においても、分業を進めて、それぞれが個人個人の能力を活かすような仕事をするようにしていたと、考えられています。その意味では、ホモ・サピエンスの集団は、単なる個人の集まりではなく、個人個人の知識や能力を組織化するため、機能的な集団を形成するようになっていたようです。そのことが、ホモ・サピエンスの集団の規模をさらに拡大し、人口増加に寄与していたと推論できます。

それを可能にするためには、ホモ・サピエンスの社会では、ネアンデルタール人の社会よりも、個人の間で、詳細な意思疎通ができる言語が確立されていなければなりません。つまり、その社会における名詞の語彙、特に普通名詞とそれらが意味する概念の多様性、動詞の数、時制を表現するための言語表現方法の確立などです。人骨の化石の研究成果から、ネアンデルタール人の頭蓋骨と、ホモ・サピエンスの頭蓋骨の形状比較では、大脳の機能には著しい違いがなかったとされています。しかし、この2つの人類の大脳の使い方には、違いがあっても、不思議ではありません。言語利用の能力には、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとの間に、著しい違いがあったと考えられます。

今から1万年位前に、現在のトルコ近辺で小麦の栽培が始まり、7千年くらい前には、古代文明の成立に向けた、社会の階層化が始まりました。そして、5千年くらい前には、エジプトやバビロニアに、古代の王国が生まれ始めました。古代エジプトでも、古代バビロニアでも、社会には王権が生まれ、その王権は世襲されるようになりました。そらに、それらの社会で、その王権を維持するために、祭祀を営むための神官組織や、戦いのための軍事組織を統率するための将軍らを中心とした集団、そして食物を栽培するための多数の農民、そして奴隷階層から構成される身分階層が、でき上がりました。

古代の社会に身分階層が定着する前、今から1万2千年くらい前、狩猟文化の時代、チグリス・ユーフラテス川の上流の地域に、旧石器文化の巨石文化遺跡が建設されました。最近までの考古学では、「巨大な遺跡は、農耕が始まり、社会の身分階層が確立する前には、建設されない」という定説がありました。しかし、現実には、狩猟採集時代の1万2千年くらい前、既に巨石文化遺跡が、現在のトルコの「ギョベクリテペ」周辺に建設されていました。現在、これらの遺跡は、祭祀のための建造物と考えられています。そして、その周囲には、定住のための住居などの遺跡が発見されていません。遺跡は、特定の期間、人々が集まって、祭祀を行うためだけのものであったと考えられています。


図5. 農耕文化

農耕文化が始まった、初期の社会階層においては、身分は親から子へと世襲される決まりが定められ、古代の階級社会は、安定した社会でした。ただ、国家間の戦いがあったため、ある国の王と、別の国の王が戦うと、国家間の戦争が起こり、戦いに勝った国は、負けた国の領土、人民、食料や財宝などを独占的に獲得しました。古代エジプト王国や古代バビロニア王国が、巨大な王国に成長した理由は、これらの国々が、強大な軍事組織を保持し、他国との戦いに勝ち、領土や人口を増やし、国家全体の富を増やし続けられたからです。