9. 知と社会の発展

〜20世紀の産業化社会と大学教育〜

このヨーロッパ社会における動きとは対照的に、新しいアメリカ社会では、ヨーロッパの大学を模した教養教育を中心とした大学と、新しい実務に関する知識を重視した大学が18世紀につくられてゆきました。教養教育を中心とした大学には、ハーバード大学などの東部の名門大学があります。同じように、鉱業に関する知識を教える大学、農業に関する知識を教える大学、工業技術に関する知識を教える大学など、実務系の大学も作られました。日本の明治初期に、現在の北海道大学の前身として作られた「札幌農学校」は、マサチューセッツ州の農学大学の教員であったクラーク博士を教員として招き、作り上げられたものです。

20世紀に入って、どの分野においても専門的な知識が重要になり、アメリカ社会では、企業の労働者は、知的な労働をする人々と、ロボットのように肉体を動かす労働をする人々に分かれてゆきました。この知的な労働に従事する、高度に専門的な知識を持った人々を育成する制度として、大学教育が社会の中に根付いてゆきました。その意味で、アメリカの大学における専門教育は、ヨーロッパの大学で行われていた学問的な知識を教える教育ではなく、働く現場で役に立つ実践的な知識を教え、一人前の専門家として働くことができる人材を育てるものになってゆきました。

そのような社会の要請に応えるために、アメリカの大学では、学生が大学を卒業するとき、その日から現場で仕事に就くことができるような知識が重視されます。そのような実践的な知識を得るために、学生たちは、夏休み中など、インターンシップに出て、企業などの現場で、無給で実際の作業に従事して、自分の専門分野で働くことがどのようなことであるのかを学びます。また、大学内における単位認定は、学生が学んだことを応用して与えられた仕事をなしとげられるかどうかが問題になります。知識を得るだけでは単位は与えられません。実際に仕事ができるかどうかが問題にされます。その意味で、アメリカの大学教育では、日本の大学教育よりも厳格に単位の認定が行われます。

それは、ある大学を卒業して社会人として働いている人が、その分野の専門家として当然できなければならない作業や仕事に対応した単位が認定されているにもかかわらず、現場でその作業や仕事ができなければ、その大学の教育現場で行われた単位認定に問題があると考えられるからです。そのような大学の卒業生を採用することは危険なので、社会全体として、その大学の卒業生を受け入れることはしなくなります。つまり、卒業しても働くことができない人が多くなります。そのような大学に進学する学生は、減るので、大学も少しずつ経営難に陥ります。このような大学教育の評価は、定期的に行われ、一般に公表されるので、大学も単位認定には慎重になります。

このようなアメリカ社会で行われるようになった大学教育の「外部評価」は、世界中で行われるようになり、世界的にはワシントン条約と呼ばれる、世界の国々が参加する取り決めになっています。これによって、中世の大学と同じように、世界のどの国の、どの大学を卒業しても、学位が認定された人が大学教育で得ている知識には差がないことを証明できるからです。ただ、日本ではそのような国際的な基準での大学教育の評価は、まだ、行われていません。日本の大学教育は歴史的に、専門家として働くために必要な知識を与えることを、必ずしも重要なものとは考えていないので、大学外部の社会人の専門家が、大学教育を詳しく見て、問題があるかないかを明確に述べることは必要がないと考えているからです。そのこともあり、大学教育では、学生を本格的なインターンシップに出すことにも積極的ではありません。

(つづく)